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“SUPER GT & Formula NIPPON FUJI SPRINT CUP 2010”(11/12〜14、富士スピードウェイ)には、現在、国内最高峰レースとして行なわれているSUPER GT(スーパーGT)と、全日本選手権フォーミュラ・ニッポン、両方のカテゴリーのレースが同日に行なわれるということで、モータースポーツファンの注目を集めています。また、この大会に『JAF Grand Prix(JAFグランプリ)』のタイトルが懸けられたというのも、大きな話題のひとつとなりました。その権威もさることながら、『JAFグランプリ』が20年ぶりに開催されるという意味も注目の理由といえるでしょう。

では、JAFグランプリとは、何なのでしょうか。その歴史は、日本のモータースポーツの黎明期、1960年代まで遡ります。日本のモータリゼーションが進み、それに伴って、自社製品の優秀性を示すために、自動車メーカーもこぞってモータースポーツに参加し始めた1960年代。鈴鹿や富士など、本格的なサーキットも出来始め、レースは時代に敏感な若者たちの間で大流行しました。この頃の主流は、スポーツカーやツーリングカー。それに比べると、F1(フォーミュラ1世界選手権)を頂点におくフォーミュラカーレースは、普及が遅れていました。そのフォーミュラカーレースを国内に浸透させるため、またF1へとつながる扉を開くために、JAFが主催する形で、1969年から始まったのが、JAFグランプリです。
これは、日本グランプリに次ぐ格式の大会でした。いずれの国でも、国名が冠されたグランプリは、年に一度の開催しか認められていません(現在では、それがF1の日本グランプリにあたります)が、JAFグランプリが始まった当時、日本グランプリのタイトルが懸けられていたのはメーカーが製作したプロトタイプのレーシングカーによるレースでした。これに対し、フォーミュラカーの最高峰レースとして生まれたのが、JAFグランプリだったのです。
その後、石油ショックの影響で、自動車メーカーがワークス活動から撤退すると、1971年からは日本グランプリのタイトルもフォーミュラカーレースに懸けられるようになりました。そのため、当時は、春にJAFグランプリ、秋に日本グランプリが開催され、いずれも国内トップレースとして人気を博しました。また、70年代後半には、春と秋、JAFグランプリが年2回開催となった時期もあります。

そのJAFグランプリには、海外の一線で活躍していた外国人選手も招待され、大会に花を添えました。こうした外国人選手を迎え撃ったのが、国内のトップドライバーたち。今ほど海外が身近ではなかった時代、日本人ドライバーにとっては、自分の腕を示すまたとない機会のひとつだったと言っていいでしょう。実際、JAFグランプリでは、ジャッキー・スチュワートやリカルド・パトレーゼなど、F1で名を馳せたドライバーも優勝していますが、日本勢もスターの名前がズラリ。高橋国光や長谷見昌弘、星野一義、松本恵二、高原敬武、中嶋悟など、そうそうたるメンバーが優勝者として名を連ねています。

その後、1987年から、F1日本グランプリが鈴鹿で開催されるようになると、JAFグランプリのタイトルはスポーツプロトタイプカー、通称・グループCカーの大会に冠されるようになります。その初回大会は1988年。しかし、グループCカーのレースとして3年間続いた後、JAFグランプリの名称は使用されませんでした。
それから20年。今年いよいよその権威ある名称が復活することになりました。現在、国内シリーズに参加しているドライバーほとんどにとって、初めての経験となりますが、『JAFグランプリ』というタイトルは各シリーズでチャンピオンになるのと同等、あるいはそれ以上の価値があるもの。獲得すれば、最大級の名誉となることは、間違いありません。

| ■歴代JAFグランプリレースおよび優勝者 | ||||||
|---|---|---|---|---|---|---|
| 大会名称 | 開催日 | 開催場所 | 優勝者 | 優勝車両 | ||
| 1 | 69 JAFグランプリ | 1969年 | 5月3日 | 富士スピードウェイ | レオ・ゲオゲーガン | ロータス39 レプコ |
| 2 | 70 JAFグランプリ | 1970年 | 5月3日 | 富士スピードウェイ | ジャッキー・スチュアート | ブラバムBT30 |
| 3 | 74 JAFグランプリ | 1974年 | 11月3日 | 鈴鹿サーキット | 高原 敬武 | マーチ742 (F2000) |
| 4 | 75 JAFグランプリ | 1975年 | 11月2日 | 鈴鹿サーキット | 星野 一義 | ブラウンシンクロン・マーチ (F2000) |
| 5 | 76 JAFグランプリ | 1976年 | 5月3日 | 富士スピードウェイ | 高原 敬武 | スタンレー・ノバ (F2000) |
| 6 | 77 JAF富士グランプリ | 1977年 | 6月5日 | 富士スピードウェイ | 星野 一義 | ノバ512B・BMW (F2000) |
| 7 | 77 JAF鈴鹿グランプリ | 1977年 | 11月6日 | 鈴鹿サーキット | リカルド・パトレーゼ | シェブロンB40/42 (F2000) |
| 8 | 78 JAF富士グランプリ | 1978年 | 5月3日 | 富士スピードウェイ | 星野 一義 | PENTAX532P (F2) |
| 9 | 78 JAF鈴鹿グランプリ | 1978年 | 11月5日 | 鈴鹿サーキット | 高橋 国光 | スピードスターKE008 (F2) |
| 10 | 79 JAF富士グランプリ | 1979年 | 6月3日 | 富士スピードウェイ | (F2部門) 松本 恵二 | ダイヤトーン・マーチ (F2) |
| (FP部門) 和田 孝夫 | オオツカ東名ニッサン・マーチ (FP) | |||||
| 11 | 79 JAF鈴鹿グランプリ | 1979年 | 11月4日 | 鈴鹿サーキット | (F2部門) 星野 一義 | PENTAX792 (F2) |
| 11月3日 | (FP部門) 高橋 健二 | ADVANニッサンFP (FP) | ||||
| 12 | 80 JAF鈴鹿グランプリ | 1980年 | 11月3日 | 鈴鹿サーキット | 星野 一義 | PENTAX802 (F2) |
| 13 | 81 JAF鈴鹿グランプリ | 1981年 | 11月1日 | 鈴鹿サーキット | (F2部門) 中嶋 悟 | マーチ812 ホンダ (F2) |
| 10月31日 | (FP部門) 長谷見 昌弘 | バーダルFP日産 (FP) | ||||
| 14 | 82 JAF鈴鹿グランプリ | 1982年 | 11月7日 | 鈴鹿サーキット | (F2部門) 中嶋 悟 | JOHN PLAYER SPECIAL・HONDA (F2) |
| 11月6日 | (FP部門) 星野 一義 | ixi:Zニッサン・ラルト (FP) | ||||
| 15 | 83 JAF鈴鹿グランプリ | 1983年 | 11月6日 | 鈴鹿サーキット | ジェフ・リース | JOHN PLAYER SPECIAL・HONDA (F2) |
| 16 | 84 JAF鈴鹿グランプリ | 1984年 | 11月4日 | 鈴鹿サーキット | 中嶋 悟 | EPSON 842 HONDA (F2) |
| 17 | 85 JAF鈴鹿グランプリ | 1985年 | 11月3日 | 鈴鹿サーキット | 中嶋 悟 | March 85J HONDA (JAF-F2) |
| 18 | 86 JAF鈴鹿グランプリ | 1986年 | 11月2日 | 鈴鹿サーキット | 星野 一義 | BYZERD マーチ・ホンダ (JAF-F2) |
| 19 | 88 JAFグランプリ 全日本富士500mileレース | 1988年 | 7月24日 | 富士スピードウェイ | 岡田 秀樹 スタンレー・ディケンズ | フロムA・ポルシェ962C (グループC) |
| 20 | 89 JAFグランプリ 全日本富士1,000kmレース | 1989年 | 4月30日 | 富士スピードウェイ | バーン・シュパン エイエ・エルグ 松本 恵二 | OMRON PORSCHE (グループC) |
| 21 | 90 JAFグランプリ | 1990年 | 3月11日 | 富士スピードウェイ | 関谷 正徳/小河 等 | トヨタ90CV (グループC) |
| 22 | JAF Grand Prix SUPER GT & Formula NIPPON FUJI SPRINT CUP 2010 | 2010年 | 11月13日,14日 | 富士スピードウェイ | アンドレ・ロッテラー | FN09・TOYOTA RV8K (Formula NIPPON) |
| 伊藤 大輔 ビヨン・ビルドハイム | LEXUS SC430 (SUPER GT GT500クラス) | |||||
| 田中 哲也 平中 克幸 | Ferrari F430 (SUPER GT GT300クラス) | |||||